池上彰さんが答えなかった「愛情は金で買えるの、買えないの?」

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ジャーナリスト池上彰さんの動画を見ました。「第二回 “経済書の古典” カール・マルクスの『資本論』」[1]です。マルクスによると、資本主義の世の中では、ありとあらゆるものがお金と交換できる「商品」になっています。そこで池上さんが名城大学の女子学生に質問をしました。

「愛情は金で買えるのでしょうか、買えないのでしょうか」

これに対して、女子学生はこう答えます。

「買える人もいれば買えない人もいる」

池上彰さんはこうまとめます。

「愛情が(商品として)買えるか買えないかはともかくとして、(資本主義では)ほとんどのものが商品になっている現実がある。ありとあらゆる商品になっている」

「ともかくとして」だなんて、池上彰さんらしからぬ、分かりにくい回答でした。「愛情は金で買えるのか」の答えが明らかにならないまま、置き去りになってしまいました。

おかげで、私は数日間も気になったままです。「愛情は金で買えるのか」を。みなさんも考えてみてはいかがでしょうか。

愛情は買えるが、愛はお金で買えない説

池上さんは「愛は」ではなく「愛情は」と質問していました。愛情は定義をしやすい言葉です。大辞林では「人や物を心から大切に思うあたたかい気持ち」と説明しています。私に言わせれば「好きになったり、なってもらうこと」「相手の存在を肯定すること」です。

好きな人に好きになってもらいたい。そのためにおしゃれをしたり、社会的地位を上げたり、デートしたり、プレゼントしたり、文字どおり愛情を注いだりといった具合に「投資」をします。相手がそこに「使用価値」や「交換価値」を見いだせば、取引成立です。しかし、投資のリターンは回収できることもあれば、できないこともあります。損とは失恋のことかもしれません。このような実らぬ愛情もあれば、数十倍数万倍と膨れ上がる愛情もあります。どのような結果になるのかはチャレンジしてみなければ分かりません。という意味では、女子学生が言った「買える人もいれば買えない人もいる」意見に私も同意します。

しかし、愛情は買えますが、愛はお金で買えないと思います。なぜかといいますと、そもそも私たちは「愛」をうまく定義できないでしょう。キリスト教の無条件の愛だったり、仏の慈悲だったり、プラトンのプラトニックラブだったり。これらを上手に説明するのは難しいものです。

キャピタリストが触手を伸ばす「愛」は、(感じることはあっても)手に触れることはできません。石油のように地下に埋まっているわけではく、非武装地帯周辺の土地のように手つかずのまま放置されているわけでもない。

愛を買った証しも領収書ももらえません。ここからここまでが「愛」だと限定しなければ、(土地にように)買うことはできません。無条件の愛と矛盾します。

愛とは何か、この問いはギリシャ時代から続いています。愛はいつも隠れていますので、商品棚はいつもからっぽです。愛についてああだこうだ言っても、語り終わることはありません。神や死や時間が終わった後や宇宙の外側のような超越した領域です。

「愛情は金で買えるのか」。秋の夜長を過ごすにはぴったりのお題でした。


【脚注】

木村邦彦

メディア関連の仕事をしています。(さらに詳しい自己紹介