豊田真由子とイエスの刑死は似ている?度をこす「最低・最悪」は形而上学になる

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「このハゲぇーっ!」
「物事には裏と表があんの。裏なんだよ! おまえはよお!!」

と、絶叫するピンクモンスター・豊田真由子衆院議員。衝撃的な音声に、なぜか、癒やされる話を以前書いた。

豊田真由子さんのどうかつ動画をどう感じるか。これは、全国のお父さんたちにとって、一種のリトマス試験紙のようです。

職場関係、友人関係、家庭生活、親や兄弟姉妹との親戚づきあい。長い人生のなかで、荒(すさ)んだ人間関係に誰しも悩むこともあるだろう。ところが、豊田真由子さんの不愉快な絶叫を聴くと、たいていの人間関係の悩みなど大したことないと感じてくる。浄化・解毒された気分になってくる。

ふと、ヒドイ出来事で思い出すのは、イエスの刑死である。裏切りと恥辱を濃密に煮詰めた死であった。ブッタの平和に満ちた入寂(にゅうじゃく)とは対照的だ。もし、イエスがキノコを食べ過ぎて死んだけれど、三日後に復活したなんて話だったら。キリスト教はこれほど巨大化しなかったに違いない。

新約聖書には、彼の生涯を記した4つの福音書がある。どれも、イエスの刑死について、多く紙幅を許している。

裏切りの夜、イエスはびびっていた。ゲッセマネという丘で「死にたくない」と、涙目で天に祈りを捧げていた。そんな祈りはおかまいなしに、ローマ人官憲と弟子ユダが殴り込んでくる。イエスを褒めちぎっていた愛弟子たちも、「あの人は知らない」とケツをまくって逃げてしまった。イエスは逮捕されて、チョー適当な裁判を経て、極刑が下される。

処刑はお祭り騒ぎで、にぎやかだった。血に飢えた見物人が、格好悪い男をいじめる日だ。民衆は裸のイエスを見て熱狂した。つばを吐きかけてもうける。イエスの顔を朱色に塗ってみたり、お尻にキュウリを入れても、おおいにうけただろう。しかも、変な落書きの冠をかぶっている。イエスが「父よどうして私を見捨てるのですか…」とはずかしい泣き言を漏らす。ギャクとして、おおいにうけた。みすぼらしい男の一挙一動に、見物人たちは爆笑する。こんな具合に、イエスは死を迎えるまで、終始、一人ぼっちのように見えた。死に方は、最悪の苦痛を与えるために発明された十字架刑である。少しずつ失血し、自らの体の重みで苦しむ仕組みだ。時間かけて死んでゆく。もらえるのは酸っぱすぎるブドウの液だけ。天気まで悪くなり、ゴロゴロと雷がなりはじめるし。

こんな最低・最悪な死に方はない。この情景を、私はどんなときに思い浮かべるかというと、手術のとき。歯をぬくとき。たぶん、戦争にかり出される事態になったら、戦場で銃を持った私はイエスの刑死を思い出すだろう。

「これから身に起こる禍(わざわい)など、ハムスターのオナラのようなものだ」

豊田真由子さんとイエスでは、人間性はまったく真逆である。豊田真由子さんの生き方は人生のお手本になりそうもない。だけど、動画には妙に癒やされる。度を超す最低・最悪さは、人々の苦しみを解毒するのだろう。豊田真由子さんに比べれば、人々はだれもが優しくて親切だ。

木村邦彦
最近はまっているのは、禅関連の読書。(さらに詳しい自己紹介
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