書評【千葉雅也さん『勉強の哲学』】「来たるべきバカ」には沈黙しなくてはならないか?

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読者は著者にいざなわれ「変身」をめざす

これは変身の書です。

「新しいノリ」に変身する

「新しいノリ」に変身する

勉強の哲学』は、Amazonの哲学・思想売れ筋ランキング第一位をひた走る人気の本です(2017年5月4日現在)。著者の千葉雅也さんは、立命館大学で教鞭をとる若き気鋭の哲学者。本書『勉強の哲学』では、ラディカルな勉強術による変身テクニックを読者に披露します。

専門分野への入門、自分のこだわりに気づくための「欲望年表」づくり、「深追いのしすぎ」をふせぐための勉強の有限化、読書の技術論、ノート術、書く技術などなど…こうした提案とテクニックの実践を著者は「ラディカル・ラーニング」(深い勉強)と名付けます。

ただの勉強ではありません。深い勉強なんです。それを本書では、「ラディカル・ラーニング」と呼ぶことにしたい。ラディカルというのは「根本的」ということ。自分の根っこのところに作用する勉強、それを、僕にできる限りで原理的に考えてみたいのです。

千葉雅也『勉強の哲学 来たるべきバカのために』(文春e-book)(Kindleの位置No.140-143).文藝春秋.Kindle版.

古い自分を失い、新しい生き方をはじめるアイデアがつまっています。効率良く仕事をこなし、高い生産性を上げ、人生のクオリティを高めるテクニックを「ライフハック」と呼ぶなら[1]本書は有益なライフハック本の一つであることは、間違いありません

読者は著者にいざなわれ「これまでとは違うバカになる」[2]境地をめざします。

三つのステップでめざす「来たるべきバカ」

しかし、ゴールまでの道は平坦でありません。著者の地図には、スリーステップのロードマップが描かれています。

「単純にバカなノリ。みんなでワイワイやれる」(第一段階)、「いったん、昔の自分がいなくなるという試練」(第二段階)を経て、やっと「来たるべきバカ」(第三段階)[3]にいたるのです。

著者は「来たるべきバカ」にいたるには三つの段階があると説く

著者は「来たるべきバカ」にいたるには三つの段階があると説く

読者は、筆者をガイドに旅をします[4]。示唆に富む語り口は楽しく、読者を飽きさせません。

「ノリ」「ツッコミ」「ボケ」で示される勉強の姿勢

たとえば、「ノリ」「ツッコミ」「ボケ」という親しみやすい言葉で、勉強の姿勢を示します。とりわけ、著者が評価するのはツッコミの技術で、「アイロニスト」として深い勉強に役立つ優先権を与ています。筆者は深く勉強することを、ノリが悪いと表現します。逆に、周りに合わせて動く生き方は、深く勉強しないことです[5]

アイロニーは有限化によって、さらに決断主義へと導く

アイロニーは有限化によって、さらに決断主義へと導いてゆく[6]

勉強や読書の質を高めるための、テクニックや心構えは実践的です。

勉強の哲学の屋台骨

本書はライフハック本であると同時に、現代思想の本でもあります。

ロックスターのように著名な思想家・哲学者、きらめく哲学用語が並びます。ドゥルーズ&ガタリの哲学とラカン派の精神分析学、後期ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」論や、ドナルド・デイヴィドソンの言語論などです。

筆者が唱える勉強のおきては、こうした学問的背景をよりどころにしています。

  • 原理編1:勉強とは、これまでの自分の自己破壊である。
  • 原理編2環境のノリから自由になるとは、ノリの悪い語りをすることである。
  • 原理編3:いかにして勉強を「有限化」するか、という問題を原理的に考える 
    • 実践編1 まず、自分の現状をメタに観察し、自己アイロニーと自己ユーモアの発想によって、現状に対する別の可能性を考える
    • 実践編2 勉強とは、何かの専門分野に参加することである。

本書がはらむあやうさは、当然のことながらよりどころとなる学問的な背景がゆらぐと、ライフハック(勉強術)の信用もゆらぐことです。

「来たるべきバカ」は、そこにあるのか?

本書の屋台骨である現代思想や哲学の話には、やや分からないところがあります。たとえば、以下はその一例です。

言葉は、実際に使われて初めて意味をもつ。本書は、こうした言語観を前提にして話を進めます。これは、ウィトゲンシュタインという哲学者の考えにもとづいています。国語辞典に載っているのは、言葉の「本当の意味」ではありません。載っているのは、代表的な用法です。辞典とは、人々が言葉をどう使ってきたのかの「歴史書」なのです。(赤字は引用者)

千葉雅也.「勉強の哲学 来たるべきバカのために」(文春e-book)(Kindleの位置No.292-295).文藝春秋.Kindle版.

著者にとって、国語辞典の言葉は、「本当の意味」ではありません。それは言葉の「用法」で「歴史書」のことだと主張します。ということは、本書で語られることは、「本当の意味」なのでしょうか。著者にとって「本当の意味」のことをどのように考えているのでしょう? 

たとえば、著者が提案するのは「言語の意味は用法である」という立場に戻ることです。

言語使用とは、他者の言語使用の真似です。言葉が有意味に使えるのは、特定の環境のコードにおいてすでに使えてしまっているからである。しかし、アイロニストはこの(ウィトゲンシュタイン的な)言語観を攻撃し、環境依存的でない真理を求め、ナンセンスへと突き進んでいく。この道行きを避けるには、あらためて、「言語の意味は用法である」という立場に戻るしかないでしょう。(赤字は引用者)

千葉雅也.勉強の哲学 来たるべきバカのために(文春e-book)(Kindleの位置No.848-2356).文藝春秋.Kindle版.

これらは、なんど読んでも、よく分からない箇所です。(この議論に深入りすることは、「言語ゲーム」「私的言語」「家族的類似」をめぐる泥沼の議論にはまりこむ心の準備が必要です。)

「言語の意味は用法である」という千葉さんの解説も、辞書的な定義に読めてしまいます。ぐるぐると、はじめに戻ってしまいます。

タイム・マシンで訪れる過去や未来も、到着すれば、そこは「今」になってしまいます(まるで、マルクスの思い描いた未来が予言どおりにやってこないように!)。わたしたちは、いつまでも「今」を生き続けています。この「今」を抜け出して、「これまでとは違うバカ」という約束の未来に、われわれは到達できるのか、心配になってきます。

「これまでとは違うバカ」とは、どのようなバカなのだろう

千葉さんが描いたアイロニストが向かう「これまでとは違うバカ」とは、どのようなバカなのでしょうか。

天才バカボン[7]

アイロニストが到達していない「これまでとは違うバカ」を、本人同様に他人も知ることはできません。語り得ない神秘を、あれこれおしゃべりしても、その意味を必ずしも指し示したとは言えません。

とはいえ、そのような未知の世界は、たしかにある気もします。まるで、神々の世界、死後の世界、世界のはじまり、時間の終わり、宇宙の果て…これらに思いめぐらすように。

千葉さんの哲学的な屋台骨は、読んでいて分からないことがあります。この屋台骨が揺らぐと、せっかくの勉強術・仕事術への信頼が崩壊してしまいかねません。いち読者としては、とても大変に有意義な読書体験ができたので(とりわけ第四章「勉強を有限化する技術」は、今後の私の人生に影響を与えそう)、本書のあやうさが気がかりでした

本書の勉強論に、現代思想や分析哲学への言及自体は、そもそも必要だったのだろうか?こうした疑問を含めて、もうしばらく読み込んでみたいと思っています。

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木村邦彦
最近はまっているのは、禅関連の読書。(さらに詳しい自己紹介


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  2. (文春e-book)(Kindleの位置No.112).文藝春秋.Kindle版.
  3. (文春e-book) (Kindle の位置No.119). 文藝春秋. Kindle 版.
  4. 「この本は、そこへの道のりをガイドするものです。」文春e-book (Kindleの位置No.111).文藝春秋.Kindle版.
  5. (文春e-book)(Kindleの位置No.101-102).文藝春秋.Kindle版.
  6. (文春e-book)(Kindleの位置No.1395-2356).文藝春秋.Kindle版.
  7. 天才バカボン (小学館文庫―赤塚不二夫名作選)
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