東京にいるのだけど、いまでも東京に行きたいと思うことがある

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温泉

妻と温泉旅行に行く計画を練っている。予定は未定とはよくぞ言ったもの。私たちは、いつになったら温泉旅行に行けるのだろう……。

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人生と温泉

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世界の中心がないように、東京なんて存在しない

私は、学生時代に旅行系サークルに所属していた。
「東京のことをよく知らないのに、どうして私は海外にいかねばならぬのか」と、考えていた。したがって、私は、旅行系サークルに身を置くものの、大旅行なぞ一度も行わずに青春時代を終えてしまった。

いまになって思うのだが、東京に居続けたって、東京のことが分かるとは限らない。旅行は、こだわりや執着を捨てる作業なのかもしれない。想像上の東京なんてありゃしないのだ。どこにいたって、東京である。

開き続ける無数の扉を、またひとつ開くだろう

ご褒美がなけりゃ、人は動かない。自分もそうだ。だから、自分へのご褒美を用意しよう。旅行の末に辿りつけば、温泉が待っている。そこで、至極怠惰な時間をすごすのだ。愛する人と、ごろごろしながら、思いつくままのことを口する。そこで、うまい料理でも食えばより楽しいだろう。なぜ、旅行をせねばならぬのか。人生自体が旅であり、始めるうんぬんではなく、すでに私たちは旅をしている。

人生は立ち去ることの繰り返し

私たちの人生は、立ち去ることの繰り返し。
部屋の扉を開き、家のドアを開け、電車のドアを開き、駅の改札を開く……。
その末に、温泉宿が待っていることだろう。しかしながら、扉が開いては閉じ、閉じては開く世界は、生きている間、永遠に続くだろう。

シモーヌヴェイユは、こんなことを言っている。

魂は部屋から部屋へと旅をする。
ついには神が永遠にわれわれを待ちつづける中枢の部屋に達するまで。

引用/「カイエ」p.312
重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄 (ちくま学芸文庫)
シモーヌ ヴェイユ
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木村邦彦
最近はまっているのは、禅関連の読書。(さらに詳しい自己紹介
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