人生の節目だったり、大切な計画が控えているときには、温泉に行くだろう

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何もしないことは、たいてい苦痛なもんだ。たとえば、九時間ぐらい空を眺めてみるとか。部屋にじっと座りつづけるとか。でも、気持ちや心を整理するためには、ときには静かな場所が必要だ。適切な場所や適切な指導者が必要だと思う。だから、座禅教室とか、気功教室とか、ヨガ教室などいろいろな環境があったりするのだろう。ただ、教室通いは、横着者の私にはややハードルが高い。
“なにもしないことをする”苦痛を伴わず、むしろ親しみ深い素敵な場所。その一つは、温泉じゃなかろうか、感じた。

いまから数年前、妻と宮城県の山奥にある温泉宿へ行った。相部屋で、いろいろな家族が雑魚寝をしていた。その光景は、海辺に寝そべるゾウアザラシの一群のようだった。せっかく温泉宿に来たのだから、元をとろうと何度も温泉に入るなんてことはしなくても良い。

相部屋で雑魚寝をしながら、テレビのワイドショーをBGMにして、ただごろごろしていればいいのである。周囲にはパソコンもなく、携帯電話の電波も摑みづらいような僻地だった。

その日、私はいつもにましてゾウアザラシであった。妻もゾウアザラシであり、周りの人々もゾウアザラシであった。何にもしなかった。お菓子を食べて、宿で食事をとり、時々風呂に入り、ときに雑談をして、また眠るのであった。

このような楽しいプチ監禁こそは、温泉の面白みであり、喜びであるだろう。私は、山奥で風にそよぐ木々を、露天風呂に入って見つづけた。温泉は、新しい計画を練るときにも素晴らしい瞑想的な環境となるだろう。

という訳で、人生の節目だったり、大切な計画が控えているときには、温泉に行く習慣をつけようと思う。

木村邦彦

某メディアの編集制作をしています。妻と二人暮らしの兼業主夫でもあり、実生活の充実も大切にしてます。最近はまっているのは、禅関連の読書。(さらに詳しい自己紹介

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